GTR R35の成功談

セントルイス銀行、クリーブランド銀行、メンフィス銀行などで取り付け騒ぎが起こり、人々は「早く金を出せ!」と大声でわめき散らした(実際、二○○七年のサブプライムローンの騒動の中にも、イギリスの中堅銀行ノーザン・ロック銀行でも取り付け騒ぎが発生した)。 パニックは次にいよいよ大都市へと向かい始めた。
サンフランシスコ、一三−.オーリンズ、カンザス・シティが血祭りに上げられた。 この危機は都市同士でなんとか資金を融通しあって二、三日中に消し止められた。
事態は一時的に沈静化するかに見えた。 最終的な破局はその直後にやって来た。
五大湖に近いデトロイトは、自動車産業で成り立っている町だったが、その自動車産業が不況によって悲惨な状況に陥っていたために、事態はアメリカのほかのどの町よりも悪化していた。 例の復興金融公社(RFC)はデトロイトがアメリカの金融崩壊回避のカギになると考えて本格的なてこ入れに乗り出した。
ところがその最中に、自動車王のへンリー・フォードと地元選出のクーッェン上院議員の間でデトロイトの銀行をめぐる騒動がもち上がった。 頭に血がのぼったフォードは関連銀行から莫大な預金を引き出すと言い始めた。

もしそれが実行されれば、アメリカ有数の経済力を誇るミシガン州全域で銀行のドミノ倒しが起きてしまう。 そこであわてたミシガン州知事は、州内のすべての銀行の閉鎖を命令した。
こうしてRFCの救済計画は完全に吹き飛んでしまった。 この二ユースは全米に電撃的ショックを与え、アメリカ中が震え上がった。
悪いときには悪いことが重なるというのは本当らしい。 こうした未曾有の危機の最中に最悪の出来事が起こった。
次期大統領に選ばれていたフランクリン.D・ルーズベルトの暗殺未遂事件が発生したのだ。 不安心理が極度に高まる中で、ついに二ューヨークの大銀行が中西部の関連銀行に貸した金の返済を要求し始めた。
アメリカ中が浮き足立った。 二ューヨークの大銀行なら大丈夫に違いないと考えた大企業は、莫大な預金を中西部の銀行から二ューヨークヘと移し始めた。
こうした事実を嗅ぎとった人々が噂を流し、さらに噂が噂を呼最後のパニックが始まった。 危険を感じた銀行が自らの扉を閉めて休業を始めたのだ。
インディアナ州で始まり、やがてアーカンソー、メリーランドの各州へ伝染していった。 銀行の死が広がっていた。
数日後、ネバダ、ケンタッキー、テネシーの各州末だった。 でも銀行は自らの死を宣告した。
そうした中で決定的だったのは、首都ワシントンの二つの銀行の業務停止だった。 そのうちの一つはホワイトハウスから至近距離にあった。
その心理的な影響は底知れぬほど大きかった。 翌日、全米の新聞が絶叫した。
「首都ワシントンの銀行、閉鎖!」Q最後の最後まで残されていた信頼の細い糸がプッンと切れた。 アメリカ人が抱いていた最後のかすかな希望、そう、連邦政府に対する信頼が消滅したのだ。

実際、連邦政府自体、この時点で政府職員の給料支払いのための現金にさえコト欠く始ルーズベルト大統領は就任式の翌日、その初仕事として、ホワイトハウスからアメリカ中のすべての銀行を閉鎖するという宣言を行なった。 一九三三年三月五日、数年前まで怒涛の経済発展を遂げていた世界最大の資本主義国の心臓の鼓動が止まった。
突然、なんとも不思議な社会が出現した。 国中のすべての銀行が閉鎖されたために、この世から「現金」が消えてしまったのだ。
あなたはこれから、財布の中に残された数枚の紙幣と子どもの貯金箱に残っていた数十個のコインだけで生活しなければならないのだ。 サラリーマンの給料は後日払いの小切手や自分の会社の製品、会社が保証する代用紙幣などで支払われた。
こうした奇妙な事情の下では、郵便切手、バスの切符、外国のコインなどが現金の代用品として大きな役割を果たした。 また、事態に対応するために、ある市では市長がサインした代用紙幣を数千枚発行した。
この代用紙幣が使われるたびに、使う人は三セントの切手を貼らなければならない。 切手の数が三六枚になると、本物の一ドル札と交換すると市当局が請け合ったのだ。
現金のない状態が続くにつれて、人々が一番困ったのがコインの不足だった。 チョコレート一枚買おうと思っても、財布に一○○ドル紙幣しかなかったら、無一文と変わらない。
小売店の店主達は小銭を持っていそうな靴磨きの少年を捜して通りを歩き回った。 交換レートは平均して一ドル札一枚につきコイン八○セントだったといわれる。

札の額が大きくなればなるほど、交換レートは悪くなった。 こうしたマンガのような話とは別に、アメリカ中で多くの人々が飢えや詐欺事件に苦しんだ。
銀行が閉鎖されている間、中央銀行である連邦準備制度のスタッフ達は昼夜兼行でアメリカのすべての銀行の業務内容を調べていた。 どの銀行なら再開しても大丈夫か、どの銀行を取り潰しにすべきか。
一九三三年三月三日夜、ルーズベルト大統領は銀行再開を翌日に控えてラジオで史上有名な演説を行なった。 アメリカ中の人々が涙を流しながら聞いた。
三月一三日午前九時、アメリカ中の銀行がその重い扉を開けた。 興奮した多くの人が集まったが、連邦準備銀行の理事達の心配を吹き飛ばすように引き出された額よりも預けられた金額の方が多かった。
事態はついに収拾に向かった。 ルーズベルトの演説が大衆の〃信頼″をつなぎとめたのだ。
アメリカはあまりにも大きい犠牲を強いられた。 わずか二年の問に九○○○もの銀行が消滅し、五○億ドルもの預金が凍結されたままとなった。

残酷な話だが、破産した銀行にお金を預金していた無数の人々は、一生かけて蓄えた自分の貴重な貯金を再び手にすることはなかった。 あの悪夢が再び襲いかかる八○年近く前に実際に起きたこの物語を、皆さんはどう感じられたことだろう。
実際、一度壮大なバブルが崩壊すると、その中心となった国ではここまでのことが起きるのだ。 バブルの崩壊の影響はアメリカに留まらず全世界に波及して世界大恐慌を引き起こし、最後には世界中が大混乱となって第二次世界大戦に突入するという、とんでもない事態に発展した。
バブル膨張と破裂の歴史をよく調べていくと、あるとんでもない法則性が浮かび上がってくる。 それこそ、「覇権の移行パターン」と言われるものである。
これについては第八章で詳しく述べるが、ここではその概要のみを簡単に説明では、歴史のカレンダーを繰ってみよう。 第一次世界大戦後の大好況←バブル崩壊←関東大震災(大正一二年)←震災手形(不良債権)のごまかし←大蔵大臣の不用意発言←銀行での取り付け騒ぎ←昭和金融恐慌(昭和二年)←ニューョーク発の世界大恐慌←経済大混乱←政治がコントロール不能に←泥沼の戦争に突入←敗戦←徳政令(現金と国債の紙クズ化)ですべて御破算。
かくして国民の財産は、あっという間にパーになったのである。 資産がゼロになるなどはまだマシな方で、最悪の場合、はるか南方の島のジャングルの中で食糧も戦うための弾丸もないまま悲惨な最期を遂げさせられる羽目に陥った。
しかも、いまだにその骨さえ拾ってもらえない同胞が無数にいるのだ。 世の中のトレンドが逆回転するとき、人々は信じられない目に遭う。

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GTR R35です。GTR R35があればかなり良いところまでいけそうです。